旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

三年目

仕事をやめてから二年が過ぎました。毎日が休日という状態にやっと体がなじんできたようです。
読みたい本、知りたいことは山ほどありますが、もう無理だとあきらめもせず、しゃかりきにもならずに日々が送れるようになってきたと言ったらいいのでしょうか。
体調の悪さや、たぶんその影響が大きい精神の凹凸はどんどん増えていくのでしょう。それをそのまま受け止めるという境地にはまだ達していません。少しは体を動かし、小さな楽しみを探すことにします。

新参者

ベランダの鉢植えが一つ増えました。ジンチョウゲです。
だいぶ前にはあったのですが枯れてしまいました。あの香りが好きでその後何度も買おうとしたのですが、ジンチョウゲはちょっと高いのですね。一鉢千円前後が私のルールで、それを超えてしまうのです。今回のもそうだったのですが、植えてある鉢が割れていて割引となり、その範囲に収まりました。
旭亭のベランダは南向きで、夏には相当な高温になります。耐えて生きろよ。

雑誌『見ぬ世の友』

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御朱印集めはまだ人気があるようですが、次に来るのは掃苔(そうたい)ブームではないかと私は予想しております。私もそちらには大いに関心があります。
明治時代には『見ぬ世の友』という掃苔家向けの雑誌がありました。当時でもさほど知られていなかった人の墓も詳しく紹介されています。書名もいいですね。
写真は新井白石の墓です。

あの人もこの人もこの道を

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昨日は春の陽気でした。体調も復したようなので、都内に出かけました。
中央線に乗ったときは、行き先は決めていませんでいた。Suicaがあるからどこへでも行けます。
で、気がつくと上野の図書館の前にいました。私の散歩のスタートはだいたいここです。明治15年に幕府の書籍収蔵所が浅草から上野に移ったのです。ぼっと立っていると、鴎外、漱石、一葉の姿が見えてきそうです。
桜木から根岸へ。今日は子規ゆかりの場所を歩いてみよう。この近辺は、町並は変わったのでしょうが、古い道が残っています。私はここ近くの高校に通っていました。土曜日の午後は決まってここいらをぶらぶらしていました。半世紀前のことですが、道が同じなので、今でも迷うことはありません。虚子や碧梧桐や鼠骨や宵曲も、この道を歩いていたんだろうな。
(写真は2年前のものです。)

鳶魚、若樹、竹清

森銑三三村竹清(みむらちくせい)を追悼する文で、彼を「林若樹(はやしわかき)、三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)の二翁と並ぶ江戸通であった」(「三村竹清大人」)と賞賛しています。
私の手許には中央公論社版の『三田村鳶魚全集』の端本があるだけで、若樹、竹清の本は一冊もなく、読んだことすらありません。その鳶魚でさえも、漢文をそのまま引用するので、書いてあることの半分も理解できていません。
鳶魚がある人から「先生の御出身校は」と問われ「寺子屋」ですと答えたエピソードが好きです(森銑三三田村鳶魚の思出」)。三人とも在野の研究者でした。
鳶魚が編んだ『未刊随筆百種』(中央公論社)を縁側で猫の頭をなでながら読む、そんな老後が理想でした。

場末子

饗庭篁村(あえばこうそん)の文に次のような箇所を見つけ、思わず膝を打ちました。
「(略)江戸子がつて大きな言をまき出しても実は下谷の場末子、安政二年八月十五日龍泉寺町に生まれ(略)」
私は龍泉寺町とはさほど離れていない淺草橋場町で育ちました。それを言うと「江戸子ですね」と返され、困ることしきりでした。淺草の人を江戸子とは呼びませんし、橋場はさらにその外れです。
これからは「江戸子ではなく場末子です」と答えることにします。

文庫収納箱

岩波書店から『失われた時を求めて』全14巻の収納箱が届きました。
最終巻を買うだけでもらえます。全巻を揃えていないと使い途がありませんからね。
まだ読破していません。急がないと、間に合わなくなるぞ。