旭亭だより

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平賀源内の墓と妙亀塚

妙亀塚

平賀源内の墓は江戸三箇寺の一員、妙亀山総泉寺にありました。総泉寺は関東大震災で焼失し、昭和3年に板橋区に移転しました。しかし源内の墓はそのまま橋場に残され、現在でもお参りすることができます。


剣客商売」の第二巻には「浅茅ヶ原は梅若丸の伝説にゆかりのあるところで、近くの名刹・総泉寺の地続きである。」と書かれています。浅茅ヶ原には鏡が池があり、梅若丸の死を知った妙亀尼が身を投げたところと言われています。総泉寺の山号、妙亀山はそれによっているわけですが、境内には妙亀尼を祀った妙亀塚がありました。


妙亀塚は今も残っています。写真がそれですが、私たちは「みょうけんやま」と呼んで、格好の遊び場にしていました。変わった場所はどこでも遊び場にしてしまう私たちでしたが、源内の墓所には鍵が掛かっていましたので、残念ながら中に入ることはできませんでした。
梅若伝説と妙見信仰は関係があるのでしょうか。それとも単に音が似ているので、そう呼ばれるようになったのでしょうか。あるいは、私たちが勝手にそう呼んでいただけなのかも知れません。
京極夏彦京極堂シリーズの中に妙見信仰について触れたものがあったように思いますが、あの分厚い本をめくる気が今はしませんので、宿題としておきましょう。
妙亀塚=古墳説もあります。


橋場にはもうひとつ総泉寺の遺物があります。その話は明日に。