旭亭だより

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ビートルズのライバルは

ビートルズの人気が高まってくるとイギリスのバンドが次々に紹介されるようになりました。今ではそれらのバンドの来歴がよく分かっていますが、当時そういった音楽は「リバプールサウンド」と一括りにして呼ばれていました。アニマルズ、ディブ・クラーク・ファイブ、サーチャーズ、ハニーカムズ、ハーマンズ・ハーミッツなどなど。
でも、さすがにローリング・ストーンズだけはロンドンのバンドと紹介されていましたね。


まだFM放送のない時代でしたが、海外音楽を紹介する番組はたくさんありました。歌謡曲の番組より多かったのではないでしょうか。そのほとんどが電話によるリクエスト番組で、その日のベストテンや新曲などが放送されていました。
しかしそのベストテンたるや、ビルボードやキャッシュ・ボックスのそれとは全く違っていて、映画音楽やヨーロッパ音楽など海外の曲ならばなんでもありの、今考えれば不思議な代物でした。
ビートルズには高崎一郎がDJをする専門の帯番組があり、彼らの最新情報がかなり正確に流されていました。


若者向きの音楽雑誌は「ミュージックライフ」と「ティーンビート」の2誌があり、それぞれ星加ルミ子と木崎義治という名物編集長を売りにしていました。今思えばどちらの雑誌も他愛ないファンのおしゃべりみたいな記事で埋められていたのですが、「ミュージックライフ」に一日の長がありました。


これらのラジオや雑誌では、何度も「ビートルズと○○○○、どっちのバンドがいい?」みたいな特集が組まれました。○○○○はビートルズのライバルにあたるわけですから、ローリング・ストーンズビーチ・ボーイズの名前がそこに入って当然なのですが、なんとベンチャーズがその座を占めることが多かったのです。
ベンチャーズ派の言い分はいつも決まっていて「ビートルズの髪型は不潔だ」と「ビートルズは演奏が下手くそだ」でした。
それほどに、アストロノウツの「太陽の彼方に」に始まるエレキブームの影響は大きかったわけです。


最近、私と同世代の人たちが「ビートルズのファンは少数派だった」と書いているのをよく読みますが、私もまったく同意見です。ビートルズの話題で盛り上がるのは教室の中ではなくて、授業が終わり、やっと見つけた同好の士としゃべりながら帰る路上か児童公園でした。「恋のアドバイス」なんかハモりながらね。
私たちより一世代上の人たちがみな全共闘だったように、ビートルズのファンはあの頃日本中に溢れかえっていたのでした(とさ)。