旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

と胸をつかれる

新聞は朝日と読売を一年交替で購読しています。今は朝日新聞です。
今日の朝刊には丸谷才一のエッセイ「袖のボタン」が載っていました。月一度の連載ものです。


冒頭に谷川俊太郎の詩「ほん」が掲げられ丸谷の感想が述べられていますが、その数行の中に私の知らない言葉がふたつ見つかりました。


知識のないわたしのことですから、知らない言葉に出会うことは日常茶飯事です。それらはだいたい漢語やカタカナ語なのですが、今回の言葉はそうではありませんでした。


ひとつは「吐胸をつかれる」。吐胸って漢語だろうな、と普段の私なら考えるのですが今日はそんなことはありません。なに、ルビが振ってあっただけのことです。
早速手元の大辞林を引きました。「と胸」と表記されていて、「と」は接頭語で、意味は「むねを強めていう語」となっています。また、「と胸を突く」は「どきっとする。びっくりする。」と説明されていました。
明鏡国語辞典では「と胸をつかれる」が「−を衝かれる」と表記されていましたが、説明はほぼ同じでした。
「と」は接頭語ですから「と胸」と表記されるのが正しいのですが、丸谷才一が使っているくらいですから「吐胸」というのも由緒ある当て字なのでしょう。


さて、もうひとつは「持ち重り」です。大辞林では「持っているうちに次第に重く感じること。」となっています。
丸谷は谷川の「ほん」という詩は「やさしい言葉しか使ってないのに、持ち重りがする。」と書いていました。確かにそのような詩であり、それを評した丸谷の言葉も味わい深いものがあります。