旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

東雲は地名、太夫名、それとも妓楼名?

種村季弘(たねむらすえひろ)の「江戸東京《奇想》徘徊記」は、雑誌(「サライ」)掲載時に通っている歯科医院で楽しみながら読んでいましたが、文庫本(ISBN:4022643692)が出たのを機会に早速購入しました。
種村はドイツ文学者ですが文学の枠にとどまらない博覧強記の人で、その書くものは常に私を未知の世界に誘ってくれました。*1
この本も江戸時代から昭和までの江戸東京の案内本を自在に引用し、彼の思い出も交えながら現在の東京を歩いた本です。種村の文章の後に写真付きの散歩の手引きも付いていて、実用的な東京案内としても利用できます。


しかし、気になったところがひとつありました。深川南北漫歩の章に種村は次のように書いています。

それで思い出すのは子供の時分に鼻歌でおぼえた東雲節(しののめぶし)という歌だ。「東雲のストライキ さりとはつらいね てなことおっしゃいましたかね」東雲とは州崎の大きな妓楼のこと。

これは明らかに誤りです。実は私も少し前までは彼と同じように考えていたのです。江東区には現在も東雲という地名がありますので、この通説を疑うことはありませんでした。ただ、私は東雲にあった工場のストライキを歌ったものだと勝手に解釈していたのですが。
この歌が妓楼のストライキを歌ったものであることに間違いはないようです。そうしますと東雲という地名が残っていることが不思議に思えてきます。どんなに粋な計らいをする市町村でも、妓楼の名前を地名にすることはありえないでしょう。


では東雲とは何なのか、それは明日のこころだぁ(この言い回しでおわかりのように、小沢昭一が私を正解に導いてくれました)。

*1:種村季弘は平成16年に死去しました。