旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

東雲は地名、太夫名、それとも妓楼名?(承前)

昨年、読売新聞に掲載された小沢昭一のエッセイを読んで私はびっくりしました。
小沢は熊本市二本木の旧遊郭の立派な建物が解体される現場に居合わせたそうですが、それがかってストライキで歌にまでなった東雲楼だったとのこと。
あの歌は江東区東雲にある工場のストライキを歌ったものであると考えていた私には青天の霹靂です。その後に読んだ小説(書名を失念しました)にもそのように書かれていましたので、私は考えを改めました。


明治33年、もともとは娼妓たちが待遇改善を楼主に要求したものだったのですが、救世軍の自由廃業運動の後押しもあり、客をとることを拒否し1ヶ月ほど籠城するストライキになったとか。
しかし、これを否定する意見もあります。東雲楼は当時日本亭という名前だったというのです。
東雲とは名古屋旭新地の娼妓の名前だったとする説もあります。さらに、東雲を熊本の娼妓とする説も。
どうも真相ははっきりとしないみたいですが、現在では一応東雲は熊本の妓楼名であったことになっています。種村の言う東京の妓楼名とする説は、まったく根拠のない通説のようです。


先日行きましたヤマハホールでの随談で、愛知県犬山市にある博物館明治村の村長でもある小沢昭一は「明治時代の遊郭の建物が残っていることをご存じの方はお知らせください。ものがものだけに確約はできませんが、なんとか明治村で保存できるよう努力いたします。」と訴えていました。