旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

幾代餅

東京駅から水沢江刺までは約3時間、車中では本を読んだり音楽を聞いたりしています(うとうとと居眠りをすることもしばしばですが…)。【江刺寄席】が近づいてきましたので、最近は落語を聞くことも多くなりました。


私は可樂と金馬で落語を知り、三遊亭圓生でその面白さにすっかり夢中になってしまいました。
しかし、落語協会の脱会騒動の頃からだんだんと圓生の語り口が鼻につくようになり、CDは購入していましたがあまり聞かなくなってしまいました。
今年になって新宿末広亭の席亭だった北村銀太郎の聞き書きを読み、彼が圓生を「芸のレベルまで人間が行っていたら、明治の大円朝以来の噺家と言ってもいいほどなんだよ」と芸の面では高く評価していたことを知り、改めて聞き直しています。


昨日、江刺からの帰りの新幹線で金原亭馬生(先代)の「幾代餅」を聞きました。馬生36歳のときの東宝名人会での録音で軽快な口調です。美濃部兄弟、語り口が似ていたんですね。
「幾代餅」のストーリーは「紺屋高尾」とほぼ同じです。そのために最近はこの噺をする人がいなくなってしまったんでしょうね。いや、それ以前に郭噺自体、演ずるのが難しくなっているのかな。


錦絵の幾代太夫に一目惚れしてしまった搗米屋の若い衆、清蔵は一年間一所懸命に働いてお金をため、吉原に行きます。野田の醤油問屋の若旦那という触れ込みで登楼した清蔵は首尾よく幾代太夫と一夜を共にします。翌朝、花魁に次はいつ来てくれるかと聞かれ、清蔵は嘘がつけず、自分の身分を打ち明け、錦絵を見て恋い焦がれていたことを正直に話します。そんな清蔵にかける幾代太夫の言葉。
「紙よりも薄い今の人情の世の中に、主のような誠を明かしてくれるお方はありんせん。わちきは来年の三月、年季(ねん)が明ける。主のところへたずねて行って、主の女房にしてもらいたいが、いかがでありんすか…」
ここでぐっときてしまいました。歳をとると涙腺が緩くなるもので、さんざん圓生の「紺屋高尾」を聞いてきた私ですがうるうるしてしまいました。恥ずかしい。
翌年、年季が明けて清蔵のもとを訪ねた幾代、眉毛(まみえ)を落として歯を染めた女房姿です。清蔵と両国広小路に所帯を持ち売り出したのが幾代餅。大変な評判となりました。
「傾城に誠なしとは誰(た)が言うた」両国名物「幾代餅の由来」の一席でございます。