旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

夜明けの Air

冬の工場裏

出張中も生活のペースは旭亭にいるときと同じで、4時過ぎには目が覚めてしまいます。
旭亭にいればパソコンの前に座り、この便りを書き始めればいいのですが、ホテルではそういうわけにもいきません。外は真っ暗でおまけに雨が降っていますから、散歩もできません。本を読む気にもならず、ウォークマンで音楽を聞くことにしました。


新幹線の中ではグルダの弾くモーツァルトのピアノ協奏曲を聞いていました。もう少し古い音楽を聞こうと、バロック以前の音楽にしたのですが、なんだかあまり気が乗りません。
何かないかな、と探すと武満徹の作品集がみつかりました。早速スタートボタンを押します。
1曲目は「Air」。フルート独奏曲で大好きな曲ですが、聞くのは久しぶりです。なんだかとってもいい。夜明け前のホテルの一室で聞くのにふさわしい曲です。


ふと、武満さんとの出会いを思い出しました。それについて10年前に書いた文章がありますので、その一部分を以下に引用いたします。

武満さんとの最初の出会いの場所は上野の東京文化会館でした。東京文化会館の男子トイレ。
ぼくはその日、ルドルフ・ゼルキンのコンサートを聴くために東京文化会館へ出かけました。プログラムはこの偉大なピアニストが長い間取り組んできた、ベートーヴェンブラームスなどのドイツ音楽からなっていました。
コンサートの前半が終わり、尿意を催したぼくはトイレに向かいました。目の前にもうひとり、トイレに向かう人がいます。長い髪をした小柄なその男性は、なんと口笛を吹いているのです。休憩時間とはいいながらクラシック音楽のコンサート会場で口笛を吹く人を見かけるのは、ぼくは初めてでした。彼とぼくはひとつ便器をおいてそれに向かいました。彼は用をたしながらも口笛をやめません。どんな人なんだろう、ぼくが彼の方に顔を向けると同時に彼もこちらを向きました。武満徹さんでした。
ぼくが思わずお辞儀をすると、武満さんも口笛はやめずにうなずき返してくれました。その顔はにこやかにほころんでいました。
コンサートの後半はベートーヴェンの晩年のソナタでした。難曲を弾き終えたゼルキンにはアンコールに応じるだけの体力が残っていないように見うけられました。もうこれで十分です、アンコールはいりません、聴衆の多くはそう思ったことでしょう。
ゼルキンはピアノに向かいました。そして一呼吸おいて、シューベルト即興曲(作品142、第2番変イ長調)を静かに弾き始めたのです。演奏の最後、簡素で美しい主題と短い変奏が繰り返され、ゆっくりと曲が終わりました。割れんばかりの拍手ですがゼルキンは椅子に座ったままそれを制しました。そしてそのまま、何度かお辞儀をしたのです。それは「おやすみなさい」とやさしく語りかけているようにも、最期の別れを告げているかのようにも見えました。
武満さんのオート・グラフが家のピアノの前に掛けてあります。五線譜にモンブランのインクで次のようにしたためられています。
  せめて
  この人間(ひと)と樹の
  限りある一刻(ひととき)を……
    October 5,1979 
          武満徹
武満さんが亡くなった日にそれを外そうとすると娘が言いました。
「そのままにしておいて。生まれたときからそこにあるんだもの、ないと淋しいよ」

タイトルに偽りがある、と言われそうですが、「夜明け前の Air」ではなんだかピンときません。夜明け前に似つかわしいのは「吉野屋」です。*1
なにとぞご容赦のほど、お願いいたします。

*1:中島みゆき「狼になりたい」