旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

儒者の墓

新井白石夫妻の墓

柳沢吉保の召し抱え儒者であった荻生徂徠のライバルは新井白石でした。白石は綱吉の跡を継いた徳川家宣に重用され、綱吉派の幕臣を一掃しました。
その新井白石のお墓は龍興禅寺の隣の高徳寺にあるのです。まるでしりとりみたいな上高田お墓散歩です。


今回のお墓散歩で唯一表示板があったのが白石(一族)の墓所でした。
写真奥が「新井源公之墓」と刻まれた白石のお墓で、手前が夫人のそれです。白石夫妻のお墓の前に一族の墓碑が並んでいました。


新井白石については「折たく柴の記」すら読んでいない私ですから、ここで記すことはありません。
でも、変わったお墓です。50センチ四方、高さは60センチくらいで、まるで石で作った箱のようです。
考えてみると、儒者であった白石の墓地が寺にあることが不思議です。儒教は宗教だからです。
確か種村季弘の「江戸東京《奇想》徘徊記」に儒者墓所を訪ねた箇所があったはずで、調べてみようとしたのですが本がみつかりません。お恥ずかしいほど乱雑な旭亭の書棚です。書庫は欲しいのですが、それを持つことはおそらく一生ないでしょう。


白石のお墓の前には何枚かの硬貨が置かれていました。学問の神様と思われているのでしょうか。