旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

やっぱり「しんしっつぁん」と呼びたいな。

二世河竹新七の墓

今回のお墓散歩で一番簡単に見つけられたのが、源通寺にある河竹黙阿弥のお墓でした。墓地の入り口にあります。


黙阿弥は引退してからの名前ですから、私は二代目河竹新七と呼びたいですね。最後の作品となった散切物の「島鵆月白浪」までこの名前で書いていたのですから。それに黙阿弥なんて辛気くさい名前より、新七の方がずっと粋です。


河竹新七の本名は吉村芳三郎、なんだか舞踊家の名前みたいです。長女の吉村糸が建てたこのお墓の台座にも「吉村氏」と墓碑の「二世河竹新七事河竹黙阿彌墓」の文字より太くくっきりと彫られています。
坪内逍遙の紹介で新七の養子となった演劇研究家の河竹繁俊も、その子の河竹登志夫も河竹姓を名乗っていますが本名は吉村姓のはずです。狂言作者ではない彼らが、なぜ河竹姓を使っているのか気になるところです。


数ある新七の作品の中で、私は「三人吉三廓初買」が好きです。しかし優れた歌舞伎作品に近親相姦を扱った物が多いのはなぜでしょうか。