旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

暗くなるまでチャンバラを

昨日の読売新聞朝刊にスポーツチャンバラスポチャン)が紹介されていました。チャンバラごっこが大好きだった私ですが、このスポチャンはそれとはまったく別物のようです。


スポチャンは剣技に重点を置いています。体のどの部分でも打ち込みが深いと一本となる競技です。
チャンバラごっこには競技性はまったくありません。一番大切なことは<役割>です。私たちがやっていたチャンバラごっこにはストーリーがあったのです。それは決まって勧善懲悪でしたから、最後に勝つのはチャンバラの上手な子ではなく、正義を演じる子だったのです。


ストーリーは毎回違っていましたが、特に打合せをするわけではありません。役が決まれば自ずと話の流れも決まります。
役の多くは子供たちが知っているマンガや時代劇映画、はたまた浪曲の世界から持ってきたものでした。今と違って情報が少ないだけ、それらのほとんどが共有されていたのです。
面白いのは、みんながみんな主人公の役を欲していなかったことです。もちろん敵役を好む子もいましたが、捕り手や三下のような、すぐに切られてしまう役を好む子もいました。
主役や敵役は年長で力もある子とほぼ決まっていましたが、彼らはそれを独占することはありませんでした。当時の子供たちは、脇役を楽しむ術もしっかりと身に付けていたのです。
チャンバラごっこに女の子が加わることはありませんでしたが、まったくないわけではありません。しかしその場合、彼女たちの役には選択の余地がありません。お姫様です。秋山美冬のような女剣士や、妖艶な悪婆といった魅力的な役は、残念ながらなかったのです。


町の中のどこでもが舞台となりました。でも、公園や空き地のような広い場所よりも、路地裏の方が好まれました。私の育った町は関東大震災にも戦災にも焼け残ったので、チャンバラに似合いの場所が多かったのです。


チャンバラごっこに夢中になると、時間はあっという間に過ぎ去ってしまいます。
暗くなった空にコウモリが飛び交う頃には、灯りのついた家々から「ご飯ができたよ」と子供たちを呼ぶ声が聞こえてくるのです。
「また明日遊ぼうね」別れの言葉はいつも決まっていました。