旭亭だより

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六義園

六義園

六義園に到着しました。
ここに来るのは三度目です。二回目については昨日記しましたが、始めて来たのは小学6年生のときの社会科見学だったのではないでしょうか。確か造幣局を見学してから、ここで昼食をとったと記憶しています。


都内に残る大名庭園として有名な六義園ですから、今更説明の必要もないのでしょうが、簡単にふれておきます。
六義園柳沢吉保下屋敷でした。元禄8年(1695年)、徳川綱吉から駒込の土地を賜った吉保は7年がかりで下屋敷と庭を完成させます。特に庭は自ら設計し、彼の文学趣味を縦横に活かしたものでした。
宝永6年(1709年)、綱吉が薨去するやいなやに家督を長男吉里に譲り隠居した吉保は、六義園で晩年を過ごしました。現在は「りくぎえん」と呼ばれていますが、吉保自身はここを和語で「むくさのその」と呼んでいました。
柳沢家は没落することなく明治維新を迎えますが、六義園は使われることはなくなり、徐々に荒廃していったそうです。
それを明治21年(1888年)三菱の創業者、岩崎弥太郎が手に入れます。昭和13年(1938年)には東京市に寄贈され、一般公開されるようになりました。


六義園は回遊式の庭園です。池に沿った道を歩むに従い、風景は刻々と変わっていきます。何本かの松に施された雪吊りがきれいです。
道はいくつにも別れています。滝をのぞむ四阿(あずまや)があります。小高い峠に向かう道もあります。峠を反対側に下りると、深山を思わせる風景が広がっています。
もちろん吉保が造営したときのままではないのでしょうが、それでも精緻に設計された庭園であることがよくわかります。