旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

浅草がモダンだったころ

「あちゃらかぱいッ」

河出文庫から「あちゃらかぱいッ」に続いて「寄席放浪記」が出ました。色川武大の芸能に関する本が読みたかった私には何よりのプレゼントです。


「あちゃらかぱいッ」はその名の通り浅草で活躍したあちゃらか芸人たちの列伝でした。<あちゃらか>とはナンセンスは軽演劇のことで、私はその代表作といわれる「最後の伝令」をテレビで見たことがあります。が、あちゃらかが絶えて久しくなってから復活したもので、それをあちゃらかと呼べるかどうかは疑問です。


私が知っている浅草の演劇は<大宮デン助>くらいで、なんと毎週土曜日にテレビの生中継がありました。毎回新作を上演することには感心しましたが、内容はいつも大同小異、古くさい人情喜劇でした。
また、浅草松屋のビルの中に劇場があり、小芝居(こしばい)をやっていましたが、当時の私にはまったく関心がありませんでした。もったいないことをしたものです。
もちろん、「フランス座」を初めとするストリップ劇場では、後にテレビで活躍するコメディアンたちが幕間(まくあい)のコントで芸を磨いていたのですが、子供には扇情的な看板をちらちら盗み見するのが精一杯でした。
そんなわけで、私にとって浅草の演劇とは、老人や観光客を相手にした取るに足らぬものだったのです。


今では小林信彦のエッセイや「ぼくたちの好きな戦争」などで、戦前の浅草が本当にモダンだったことを知っています。しかし、それは知識としてだけなのです。


「あちゃらかぱいッ」はそんな知識に人間臭い肉付けをしてくれました。小学生のころから学校をさぼって浅草に通っていた色川にしか書けない作品です。
飲む打つ買うにうつつを抜かす破滅的な芸人たちの姿はステレオタイプにも見えますが、それは反対で、彼らがステレオタイプを作ったのでしょう。*1
そんな芸人たちが作り上げる舞台は、伝統演劇を下敷きにした従来の大衆芸能とは違う、モダンなものとなっていったのです。

*1:<買う>に関してはお盛んではなくて、女優や踊り子といった身近な女性ですませていたようです。そのような関係になることを<ささる>と彼らは言ったそうですが、即物的なすごい表現です。