旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

噺家修業

先日、先輩の着物をたたむ前座の落語家になった夢を見ました。たぶん、風間杜夫南原清隆が演技としてではなく、落語家として寄席などに出ていることが気になっていたからでしょう。


落語家には憧れますが、自分が落語家になってみようと考えたことはありません。私の通った高校はすぐ近くに林家正蔵師匠(もちろん稲荷町の先代です)が住んでいたせいか落研の活動が盛んでしたが、入部しようとは思いませんでした。*1


人前で落語をやったことは何度かあります。小学生のころです。
落語や浪曲のラジオ番組が好きだったので、それらの一部は自然と覚えてしましました。そうなると誰かに聞かせたくなります。浪曲は受けないだろうな、それくらいの判断力はあります。となると落語です。
「小学生が相手だから難しい噺はいけねぇや」と小学生である私は考えました。そこで演目は「浮世根問」と「時そば」にしました。
まず「浮世根問」でご機嫌をうかがいます。この噺はどこでもやめられますから、うけたところで「お後がよろしいようで」とさっと引き下がります。これが大事です。で、アンコールをせがまれたときには、間髪おかずに「時そば」に突入するのです。


初めは物珍しいのでおもしろがって聞いてくれた同級生たちも、そのうちにだんだん飽きてきたようです。出しものを変えてもよかったのですが、自分の芸の未熟さは十分わかっていましたので廃業することにしました。「修業して出直してまいります」といったところです。
でも、夏休みで母親の実家に行ったときには、近所の子供たちを集めて同じ噺を演じていました。こっそりと地方公演をしていたのです。


夢の中では横綱だった曙さんが先輩でした。まだ二つ目みたいでしたが、彼が真打ちになる日は来るのでしょうか。

*1:あの頃は「流水亭」という亭号を名乗る人が多かったのですが、今でもそうなのかな。