旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

トシオとミホ(承前)

加計呂麻島に軍隊の基地ができるのは初めてのことでした。加計呂麻島奄美群島の中でも最南端にあり、住民たちは自分たちの祖先は琉球からやってきたと信じていました。
我々はヤマトの人間ではない。そういう人たちの中に本土の軍隊がやってきたのです。村人たちは警戒しました。戦争よりもヤマトの軍人の方が恐ろしい。


ところがやってきた兵士たちは、年こそ若いが毅然とした将校に率いられた、規律を遵守する人たちでした。それだけでも驚いたのに、その青年将校は山道で老人と出会えば手を引いて助けてやり、国民学校の生徒たちとは手をつないで一緒に唱歌を歌うなど、強さと優しさを併せもった「隊長さん」だったのです。
「あれ見よ島尾隊長は」で始まる島尾隊長を称える歌までが村で歌われるようになりました。


村人は噂しました。島尾隊長はただの軍人ではない、高貴な血をひくお方か、尊い人の生まれ変わりではないか。貴種流離譚です。


貴種流離譚には土地の有力者と血縁の女性が不可欠です。
村長の娘ミホがそこにいました。彼女は村の国民学校の先生でした。
当然のようにふたりは激しい恋におちます。訓練の合間をぬっての短い逢瀬、いつ出されるとも知れぬ出撃命令、そして出撃は死を意味します。ミホは敏雄の出撃とともに自刃しようと決め、白装束と短刀を枕元に置いて毎夜床に就きます。


当時ふたりの間で取り交わされた手紙が残っています。トエに話しかける朔中尉の言葉に似た島尾敏雄の手紙に対し、ミホのそれは万葉集からの和歌を多く引用した堅苦しいものですが、そこに当時の無垢な女性の精一杯の相聞をみることができます。


それは比喩でなく本当に神話の中の恋でした。


昭和20年8月13日夕刻、ついに第十八震洋隊に出撃命令が出されました。しかし、発進命令のないまま島尾敏雄は8月15日終戦を迎えたのです。


「出発は遂に訪れず」
後に彼が書いた小説の表題です。


島尾家は戦後にも選ばれてしまった家族になります。神話世界の中で聖家族を作らせたのが「時代」なら、戦後の島尾家を襲った(選んだ)のは何ものなのでしょうか。