先月のことですが、1月にパルコ劇場で行われた「志の輔らくご in PARCO」での「中村仲蔵」を WOWOW で見まして、すっかり感服いたしました。*1
「中村仲蔵」は三遊亭圓生、林家正蔵(先代)が自家薬籠中のものにしていた噺ですが、立川志の輔はそのどちらともまったく異なる「中村仲蔵」を演じていました。
圓生、正蔵の「仲蔵」は、両者の語り口こそ異なりますが、噺の舞台となっている歌舞伎の世界と同じ古典芸能的空間の中で演じられます。
それに対して、志の輔の「仲蔵」は、すぐれた脚本家と演出家の手による現代の演劇か、テレビドラマを見ているような気にさせるのです。
志の輔は「仲蔵」を一度自分の中で解体し、納得のいくように組み直しています。しかし、これ自体は志の輔独自のやり方ではありません。師匠の談志が長年取り組んできたことです。*2
談志は再構成した噺をもとの落語の世界に戻すのですが、志の輔はそうではありません。時代設定はそのままですが、現在の劇として観客に提出します。
「志の輔らくご in PARCO」には一度も行ったことがないのですが、テレビで見る限りは、小屋とスタッフのせいもあるのでしょうが、落語の会ではなく、噺を終えてからの趣向をも含めた演劇のように感じられます。
それが志の輔の落語なのかは、立川流は(例外はありますが)寄席には出演できませんので、パルコ劇場以外のホールで実際に彼の噺を聞いた上で考えてみたいものです。