旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

ふたりの教員

「滝山コミューン 一九七四」を読みながら、私自身の小学生時代を何度か思い出していました。


私の通った小学校では、4年、6年の進級時にクラス替えがありました。その最後の一年に、その後の私に、その職業を嫌悪させることになったふたりの教員が担任となったのです。


4月のクラス替の掲示を見て、私は複雑な気持ちになりました。
担任の男性教員は厳しさで知られた人だったからです。父母には「あの先生に習うと学力が上がる」と、評判は上々でした。
それがどんな厳しさかはすぐにわかりました。暴力をふるうのです。


授業が開始されてすぐにテストがありました。その返却時に、彼はひとりひとりを呼び出し、大きな声で点数を告げ、成績が悪い生徒の頭を三文判を握った手で殴りました。拳骨からはみ出した三文判で殴るのですから、痛みは激しかったようです。しかし殴る彼の手は痛まないのです。
陰険な奴だな、それが彼に対する第一印象でした。


そのときは殴られなかったのですが、2、3週間後に私もそれを経験することになりました。今度は三文判ではなく、もっと卑劣な手法を彼はとりました。
成績の悪かった生徒全員を教室の前に並べ、自分自身で頬を叩くよう命令したのです。誰もが冗談だと思い、軽く頬を叩きました。すると彼は激怒し、思い切り叩けとどなったのです。それも一、二回などではなく、終わったときには私の頬は真っ赤に腫れ、痛みは翌日も残りました。
こいつは変質者だ、私は彼を憎悪しました。


翌日から5、6人の生徒が学校を休みましたが、授業は平常通り行われました。
さらに次の日には休む生徒が増え、自習の時間が増えました。生徒たちの間には、休んでいる生徒の親たちが、担任の暴力行為を学校に訴えているようだ、との噂が飛び交いました。


数日後、担任は女性教員に変わり、彼は他の小学校に転勤していきました。なぜそうなったのかについては、何の説明もありませんでした。*1


そうとは気づかず最後の授業となった日に、彼は私たちに「(休んでいる生徒たちは)俺のことをわかってくれなかったんだな」と気落ちした様子でぽつりと言いました。それを聞いてうつむいた生徒が何人かいましたが、私には変質者に同情するような広い心はありませんでした。

*1:父母会が開かれたのかもしれませんが、記憶にありません。