旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

担保

昨日の日経朝刊一面の記事「銀行・ゆうちょ送金可能に」に、次のような全国銀行協会奥会長の談話が載っていました。

最大手の三菱東京UFJ銀行の二倍以上の規模を持つゆうちょが加わった場合にシステムの安定性を担保できるのか。

この中の、担保という表現が気になります。保証できるのか、という意味であることはわかるのですが、なぜわざわざ「担保できるのか」と言っているのでしょうか。
このような意味で担保が使われている文章を、最近よくみかけます。小説には出てきませんが、評論には多いようです。しかし、私の読書範囲の中では、以前はまったくといっていいほど使われていない表現でした。
私などは、質権や抵当権を意味する語としてしか使いません。保証するという表現のほうが一般的ですし、それを言い換える必要をまったく感じないからです。
たぶん、これは流行表現なのでしょう。「タンポする」と言った方が「ホショウする」より、音のキレがいいと感じないわけでもありませんが、私は使いたくありません。