旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

絵を描く人たち(5)

彼からの連絡の間隔は長くなりなり、とうとう無くなってしまいました。彼の家の電話番号は控えてありましたが、私から連絡することを彼は嫌がっていたようでしたので、電話はかけませんでした。
例の古書店にも顔を見せなくなったそうです。
「古物商の許可が取れたと言っていたから、古書販売にのめりこんでいるのかな。あれだけの才能があるのに、もったいないなあ。」
店主は、壁に書かれた数字を見つめて、淋しそうにそうつぶやきました。
彼はもう長い間、絵を描いていなかったのではないか、私はそう考えるようになってきました。私たちが見た作品は、相当前に描かれたものだったのかも知れません。そうならば、彼と作品と間にあった乖離感が納得できます。
絵を描きたいということばを、私は彼から一度も聞いたことがありませんでした。彼がなりたかったのは、彼が好きな本だけを扱う古書店主だったのです。
私たちは彼の思いを忖度することなく、勝手な夢を彼に託していたのです。そんな私たちに失望し、彼は去っていったのではないでしょうか。


彼のことはすっかり忘れていました。いや、彼が存在したことさえ私は忘れていたのです。
先月の朝日新聞の書評に、樹村みのりの新刊が取り上げられていました。その懐かしい名前が、彼を一挙に思い出させました。私は樹村の本を三冊、彼からもらっていたのです。そして、その本を今でも持っているのです。それは彼が私のそばにいたことの証しです。
もうひとつ、彼との思い出の品がありました。これも古本です。彼と高円寺の古書会館に行き、手に入れた吉本隆明の私家版詩集「固有時との対話」と「転位のための十篇」です。私がその詩集を探していることを知り、彼がそこにあることを調べてくれたのでした。
「急な失費をさせてしまって申しわけありません。不要だったらいつでも同じ金額で引き取りますから、そう言ってくださいね。実は私も欲しかったんですよ。」
二十年以上も前の彼の声が、耳元によみがえってきます。


デモ、ボクハキミト再会シナイホウガイインダロウネ。