旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を見て(承前)

森恒夫永田洋子をあえて怪物として描いたのかもしれませんが、このコンビも自らを<総括>します。
永田は軍事訓練の冒頭で水筒を持参しなかったことを短く<総括>し、森はそれを受け入れます。
軍事訓練解散近くに、所用で山を下り旅館らしきところで関係を持ったふたりは、そこを訪ねた坂口弘にこう<総括>するのです。坂口は永田の恋人でした。
森は言います。
「山岳ベースに連れてこられない女と結婚したことを反省している。永田さんとこうなったからは、妻子と別れ責任をとりたい。」
森はブルジョア法を受け入れている人間のようです。
「森さんと一緒になることは必要なことだ」と永田は坂口に三行半を突きつけます。「さよならと総括」です。
このシーンを含め、笑える場面がたくさんあるのですが、客席からは笑い声は聞こえませんでした。もしかしたらと期待していた「異議なし」と「ナンセンス」も、です。
タイトルに「実録」と入れたことでわかるように、この映画には娯楽映画作家としての若松孝二が随所に活かされています。そうでなければ190分の長尺に付きあうことはできません。
森たちが山を下りた後、山岳ベースには打ち解けた雰囲気がかもしだされてきます。解散の日はふたつの山岳部のエールの交換のようです。


あさま山荘の場面は、低予算のためもあってか(もちろん監督の意図もあるのでしょうが)迫力に欠けています。しかしその分、親たちの呼びかけの声などの音声が効果的に使われていました。
1972年2月28日、機動隊の突入が間近となったときに「死んだ同士のためにもおとしまえをつけよう」と坂口が言います。ほかのメンバーも明るい顔でそれに同調します。
「おとしまえ」、あの時代にはやったことばです。当時人気のあったヤクザ映画に影響されたものでしょう。東映のチャンバラ映画で育った私は、同じ会社が作るヤクザ映画になじめず、一度も見たことがありませんでした。
「みんな勇気がなかったんだ。」
それまで沈黙していた加藤三兄弟の末弟が突然叫びます。長兄は<総括>されていました。「おとしまえで終わられてはたまらないな」と思っていた私に小さなカタルシスが訪れました。冒頭に「一部フィクションがあります」とクレジットされましたが、たぶんこの部分がそうなのでしょう。
漫画家の山本直樹は昨日の朝日新聞でこのシーンを次のように批判していました。

最小年メンバーの少年が「勇気がなかったんだ」と叫ぶ。その叫びが閉じたアジトに唯一開けられた小窓のような存在として微かな光を照らしかける。しかし僕はあえて窓のない地獄として描ききってほしかった。

私はこのラストを指示します。なぜなら、すでに180分間この映画とともに過ごしてきた私たちには、窓のないことがわかっているからです。