旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

ミズヤとハイチョ

正蔵師匠ばかりではさすがに飽きてしまいますので、間にほかの師匠の噺も聞いていました。志ん生師匠の「水屋の富」などです。
水屋と聞くと関西の方は家具を思い浮かべるのではないでしょうか。
私は「じゃりン子チエ」で家具としての水屋を知りました。ヨシエはんがチエに「これ水屋に入れといて」とよく頼んでいました。
広辞苑には水屋は「茶器などを入れる箪笥様のもの」と説明されていますが、絵を見るとそれは東京で言う蝿帳(ハイチョウが正しい読み方だそうですが、下町ではハイチョと発音していました)のことでした。
水屋=蝿帳ならば、この噺は「富久」のような展開をしたのでしょうが、生憎この水屋は水売りのことです。江戸時代には、井戸が汚れている人たちに水を売る商売があったようです。茶の湯に使う名水を売るのではなく、煮炊きや飲料のための水を売っていたのです。


本来は無料である水が商品(ミネラルウォーター)として売られるようになったときから<超資本主義>が始まったと吉本隆明さんは書いていましたが、日本では江戸時代から水は売られていたのです。
非常に安価だったようで、「水が商品となったのではなく、それは水を汲み運ぶという労働の対価が支払われただけだ」と言われそうですが‥‥。