旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

繰り返し読んだ本

先日、本屋で平積みされている倉橋由美子の「暗い旅」を見つけました。
思い出深い本です。大江健三郎の「芽むしり仔撃ち」とともに、十代のころに繰り返し読んだ本なのです。
ハードカバー、新潮文庫版と買ってきましたが、現在は手元にありません。今度の河出文庫版の装丁は気に入りませんでしたが、迷わずに買ってしまいました。
内容は今でも隅々まで覚えていますから、すぐに読み返すことはありません。


高校の図書室で手にした講談社版の文学全集で、倉橋氏の小説と出会いました。「パルタイ」や「貝の中」などが収録されたいたのですが、どれもがそれまで読んできた小説とまったく違っていました。
図書室には倉橋氏の本はそれしかなく、文庫本も出ていませんでしたの、小遣いを工面してハードカバーを求めました。
初期の倉橋氏の作品に誰もが感じるように、私もカフカの影をそこに見ました。でも、それよりも私をとらえたのはカフカにはないねっとりとした性的な描写でした。
ですから、「暗い旅」は私の愛読書になったのです。たぶん私は、著者の意図とは遠く離れて、性の遍歴の書として「暗い旅」を読んでいたのです。
ジャズに関する描写も、そのころジャズを聞き始めたばかりだった私を魅了しました。そこに出てくるレコードをすべて聞きたいと思ったのですが、私の行くジャズ喫茶にはほとんど置いてありませんでした。小説の書かれたころと、ジャズシーンがまったく変わっていたのです。
後年、ホレス・パーランのレコードが復刻されたときにすぐにそれを求めたのも、「暗い旅」の影響です。パーラン?「悪くはないよな」ってとこでしょうか。


大江氏と同じように、ある時から倉橋氏も私には関心のない作家となってしまいました。なぜなのだろう、と考えることもないような気がしています。