旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

どうしてひとは去っていくのだろう(承前)

そんな失意のどん底にあるときに、漱石の「明暗」を読んだのです。
主人公の津田からはっきりした理由もなく去っていった清子は、当時の私には彼女そのものに思えました。十数年後に再読したときには、清子がなぜ津田と別れたのかは理解できたのですが、そのときはまったくわからなかったのです。


ですから、「明暗」の主題は「どうしてひとは、わけもなく去っていくのだろうか」の解明にあると思いこんでしまったのです。そしてそれは再読するまで続きました。


痔の手術後、湯治に出かけた温泉宿で津田と清子は再会します。津田はそこに清子がいることを知って、いや清子と会わんがためにその宿に行ったのです。湯治は身体の傷を癒すためだけではなかったのでしょう。
津田がさらにもう一度清子と会えるのだろうか、というところで「明暗」は作者の死によって未完のまま幕が引かれました。


再会のときに清子は別離の理由を津田に告げているのですが、私にはそれが読み取れませんでした。ですから、書かれなかった部分で別れの真相が明らかになり、もしかしたら二人は共に暮らすことを選ぶのではないだろうか、などと自分の抱えている問題に引き寄せて、私は「明暗」を読み終えたのです。


浅はかな読みと笑うことは簡単ですが(自分自身、実は笑っちゃいますけどね)、失恋の痛手から立ち直っていないということと、まだ二十歳の若造ということで、許してやってください。
次に、昨日予告しました村上春樹の話となります。でも、期待はずれに終わることは間違いありません。まあ、今日は二度笑ってください。


「明暗」再読の前に、村上春樹の「羊をめぐる冒険」を読みました。
なんとここにも、何も言わずに去っていく女性がいるではありませんか。次作「ダンス・ダンス・ダンス」で、作者によってキキという陳腐な名前を付けられることになる、耳のモデル兼高級コールガールを生業(なりわい)とする女性です。
「よし、このテーマで漱石と春樹をくくって論じることができるぞ。うまく書けたら何かの賞に応募しちゃおう」なんて考えたのですが、設定自体に無理がありますので、その評論は一行も書かれることがありませんでした。


蛇足ですが、耳のモデルは去ったのではなく羊男(鼠)によって立ち退かされるのです。
しかし<キキ>といい、「1Q84」の、実在の女優を連想させる<ふかえり>といい、村上春樹命名のセンスのなさには驚くばかりです。


さて、「漱石のたくらみ」を読み始めることにしましょう。


漱石のたくらみ―秘められた『明暗』の謎をとく

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