旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

大島渚(映画監督に非ず)と近藤義九郎

谷川昇博徒と自由民権」をネットで入手し、読み終えました。この本はもともとは中公新書で、その後平凡社ライブラリーから出ていたのですが、現在はどちらも品切れです。今回私が買ったのは中公新書(初版)で、定価より安く手に入れることができました。


博徒と自由民権」が届く前に、現在の幕末明治期の博徒研究を知りたくなり、岩波文庫の新刊、高橋敏「清水次郎長」を読みました。
浪曲東映映画でしか清水次郎長を知らない私には得るところがあった本でしたが、講談口調の文体と常套句の多さに辟易しました。


博徒と自由民権」は「名古屋事件始末記」の副題がある通り、明治17年に起きた「激化の諸事件」のひとつと博徒の関わりを考察した労作です。こちらも博徒の争いを描くときには講釈のようになりますが、その部分だけですのでさほど気にはなりません。やはりどの人も、この世界を取り上げると浪曲や講談の影響が出てしまうものなのでしょう。


清水次郎長」を読みましたので、尾張三河博徒の名前や相互の関係を知っていましたから、「博徒と自由民権」はよく理解できました。
その中で、名古屋事件の首謀者の一人、大島渚と、それには加わりませんでしたが後に父親(北熊一家の親分、近藤実左衛門)の裁判で、名古屋事件の「弔い合戦」をした近藤義九郎のふたりが気になっています。


死刑になった大島渚は実左衛門の乾分でした。義九郎は「秋葉山の血闘」で明らかに人を殺している実左衛門(なんと68歳!)の裁判に、星亨などの高名な弁護人を付けることによって、無罪をもぎとったのです。
その代わりに乾分ふたりが下獄しましたが、これは博徒社会のしきたりを通したまでのこと。
義九郎は、自分が見殺しにしてしまった兄弟分、大島渚たちの供養のために、博徒の悪習慣をあえて裁判で認めさせたといえるのです。