旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

先生−終章

2007年2月8日に「先生」というタイトルの便りを書きました。その一部を引用します。

先生とお近づきになったのは昨年のことでした。馴染みの居酒屋で隣り合わせになり、先生が声をかけてくれました。
東京でそんなことがあると引いてしまう私ですが、町全体が知りあいのような雰囲気のある江刺なので、気軽に応じました。先生は私よりだいぶ年長に思えましたので、それもあったのでしょう。
実際話をしてみると、先生は私より15歳年上であることがわかりました。でも、とてもそのような年齢には見えません。おしゃべりは落語の話から始まったのですが、小さな声ですが先生の声は聞きやすく、話題も豊富です。


昨日、先生の奥様から手紙が届きました。何が書かれているかは、封を切る前に予想ができました。その通りでした。
手紙の冒頭には、先週私が先生に送った【江刺寄席】の案内状に対するお礼が述べられていました。そしてその後に、先生が早春に亡くなったことが記されていました。


先生の体調がすぐれないことは聞いていました。でも元気な先生のことだから、すぐに恢復するだろうと、何の心配もしていなかった私でした。
先生の病気が、治療法のない難病であったことを奥様からの手紙で知りました。


「江刺に来たらうちに泊まれよ。古い家だけど、部屋数だけはあるから。」
先生から何度もそう誘われたのですが、先生の家を訪ねることはありませんでした。遠慮と、そこまでは親しくならない方がいいという、自己防衛の気持ちがあったからです。
せめて一度でも泊めていただくことがあったなら、見舞いにも行けただろうにと、今は悔やんでいます。


私の古い便りは次のように続いています。

なぜ<先生>なのでしょうか。
店の人が教えてくれたのですが、先生は高校の教師だったそうです。思うところがあって学校は辞め、私塾を開き、多くの人を教えてきたとのこと。
教え子は多いとみえ、その居酒屋でも「先生、お先に」と声をかけ、先に帰って行く人が何人かいました。
それで私も先生と呼ぶようになったのですが、先生の名前は今も知りません。


もちろん、現在は先生の名前を知っています。
英語の教師であった先生に、いい文法書はないかと尋ねたことがありました。
「オレの書いたものがあるよ。」
その一ヶ月後、いつもの居酒屋で先生から預かったという大判の封筒を渡されました。中には先生の著書のゲラ刷りのコピーが入っていました。
今、それを見ながらこの便りを書いています。


先生の新盆に、線香を供えに行こうと思っています。