旭亭だより

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哲学と思想

久しぶりに永井均の「<子ども>のための哲学」(講談社現代新書)をめくっています。私の愛読書ですが、いつも一日に数頁しか読むことができません。
少し読んでは何度も咀嚼する。早喰いの私ですが、この本を読むときだけは、牛になることにしています。


たぶん、この本は子供には読めないでしょう。むずかしいことが書かれているからではなく、表現することがむずかしいこと、あるいは不可能なことを、ことばにしているからです。
また、大人にも理解できにくい本です。懐かしむのではなく、子供だったころそのままの自分に戻ることを求められるからです。

この本のテーマではないのですが、今回気になったところを引用しておきます。

<哲学>(自分自身の中から生まれた哲学書によらない哲学−引用者注)とつながらない「哲学」(世の中で哲学と呼ばれているもの−同)は、もはや「哲学」でさえなく、思想(thought=すでに考えられてしまったもの)の陳列棚にすぎない。(略)それなのに、すべての哲学者が思想家(=思想を作った人)であるかのように見えるのはなぜか。それは、人間が生き続け、考え続けることができない存在だからにすぎない。ある時点で切断された思考は思想に、つまり哲学することと無縁な人の鑑賞物に、変わるのだ。(70頁)


思想家を自称するひとがいないわけです。