旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

なにごとにも季節がある

昨日の便りを書いてから、ふと書棚からモンテーニュの「エセー抄」(宮下志朗編訳/みすず書房)を取り出しパラパラとめくっていたら、それにぴったりのタイトルに出くわしました。(私は「エセー」の完訳本は持っていません。)五頁の短い文章ですが、さっと読み、我が意を得たりと思わずほくそ笑んでしまいました。
その文を捜すために本を手にしたわけではありません。「エセー抄」は座右の書とまでは申せませんが、読むものに迷ったとき、適当な頁に目を通す本ではあります。
大カトーが最晩年にギリシヤ語を習い始めたことに関して、モンテーニュはこう書いています。

わたしからすると、これは彼にとってさして名誉なことだとは思えない。ぼけて、子供に戻るということをいうけれど(原文のまま)、まさにこれでしかない。よいものであれ、なんであれ、ものごとには季節がある。

モンテーニュ老いて新たに学ぶこと自体を否定しているのではありません。「より安んじて、あの世に旅立つため」の「勉強」は認めています。この文章は小カトーの擁護のために書かれたもので、「小カトーの勉強こそは、このようなものだった」と続いています。