河盛好蔵「藤村のパリ」(新潮文庫)を読んでいます。
下世話な私は、「あんなことしやがった奴のこった、どろんをきめこんだパリでも、女の尻を追いかけてたんだろ」なんて想像しながら読みはじめたのですが、期待は裏切られました。
あんなこととは所謂「新生」事件で、この本はそれを知らぬ名士たちが藤村の洋行を新橋ステーションで見送るところからはじまります。送る側と送られる側のあまりの温度差にはっとさせられました。大正二年三月のことで、藤村は四十二歳、第一次世界大戦勃発の前年です。
驚いたのは彼がパリでドビュッシーのピアノ演奏を聞いていたことでした。自作自演で、藤村は「子供の領分」にとりわけ心を惹かれました。
「西洋音楽というものはこうだと平素定(き)めて了っているような人にああいう演奏を聞かせたら、恐らくその一定した考え方を根から覆えされるであろうと思う程です。新しい声です。」
藤村の感想ですが、彼は非常に優れた音楽を聞く耳を持っていたようです。なんと彼はこのコンサートに河上肇を誘っています。その河上の感想は、いかにも彼らしいものです。藤村の文を写します。
「河上君はその夜聞いたような音楽、そういう趣味、又それを聞きに集まる一部の階級があることは認めるけれども、それが民衆の性質を表すものではないとの説が出た。」
河盛好蔵は「ボレロ」の初演を、ラヴェル自身の指揮で聞いたそうです。
- 作者: 河盛好蔵
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2000/08/01
- メディア: 文庫
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