旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

責任は感じるのではなく、取るものということ

『旭亭だより』を書き始めた頃、伝えたいことはあるのだけれど、それ文章にするのができなくて、しょっちゅう悩んでいました。そんな時まずやったのは「別な話題を探す」でした。できないなら逃げちゃえ、です。それも悪くはないけれど、行き詰まるに決まっています。それにそれじゃ楽しくない。(今日は「そ」の連続だな。いつもなら書き直すのだけど、このままにしておこう。そうだ、「そ」を多用しちゃえ。)そこで苦手を克服することにしました。読み返せば赤面しますが、なんとか書いてみたのです。
その頃よりは書ける範囲は広がりましたが、まだまだです。最近ではこんなことがありました。
「醍醐味」ということばはよく聞きますし、見もします。私は古臭いと感じていますので使いませんが、現役のようです。が、見聞きするそれは、私の知る使用法と少しずれている気がするのです。その「ずれ」を明確に書くことが私にはできません。それは書けないということだけでなく、考えが足りないことでもあります。詰めが甘いどころか、突き詰めようとさえしていないのです。
こんな下手な文章ですが、書くことにより反省すべき点が見えてきます。それが多すぎて嫌になりますが、それこそことばの正しい意味での「自己責任」です。責任は取らねばなりません。ということで、『旭亭だより』は何よりも私自身のためにあったのだと感じ入っている次第です。