旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

路上の商い - 食べ物屋あれこれ

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写真は私の町に、毎朝納豆を売りに来たおばさんです。加藤嶺夫氏が1968年に墨田区向島で撮影したものです。加藤氏の写真集『東京 消えた街角』(河出書房新社)に収録されています。おばさんは向島から白鬚橋を渡り、橋場にやって来ました。
天秤棒の前の竹籠には納豆の藁苞(わらづと)が、後ろには味噌豆のお櫃が入っています。味噌豆は大豆を炊いたもので、薄い醤油味です。私は味噌豆が大好きでした。おばさんは売り声をあげません。来る時間は決まっていましたので、私は丼を手にして明治通りで待ちました。おばさんはお櫃からまだ暖かい味噌豆をお玉で丼によそり、青海苔をたっぷり振りかけてくれました。そのまま、朝のおかずになるのです。納豆にも葱、青海苔と辛子を入れてくれました。
炊いた赤えんどう豆をオートバイで売りに来るおじさんもいました。こちらは、おかずにもなりましたが、子供向けでした。紙を円錐形に巻き、その中に豆を入れます。塩味がついていますが、望めば黒蜜もかけてくれます。私の豆好きは、間違いなくこの時期に始まったのです。
子供向けの食べ物屋は、ほかに飴細工と新粉細工がありました。今でもテレビで紹介されることがありますが、昔の人たちの技量はあんなものではありません。飴細工はなんとか見られますが、新粉細工は足元にも及びません。
食べ物ではありませんが、薄荷パイプもよく買いました。セルロイド製と木製があり、中には薄荷を染みこませた脱脂綿とグラニュー糖が入っていました。薄荷の香りはすぐに消えてしまいますが、詰め替えは売られていません。木製は煙草も吸えるとおじさんは言っていましたが、使う大人を見たことはありません。