旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

「古い故人」を供養する『死者の書』

富岡多惠子著『釋迢空ノート』(岩波現代文庫/2006年)を読み終えました。釋迢空(折口信夫)の著書や安藤礼二著『折口信夫』(講談社/2014年)を広げながらの読書で、時間はかかりましたがとても有意義な経験となりました。安藤の『折口信夫』はこの本に拠っているところがあり、『折口信夫』も再読したくなってきました。
折口は1905年、国学院大学予科に入学するために大阪府木津村から上京します。麹町区の素人下宿に住む「新仏教家」藤無染(ふじむぜん)の部屋に同居し、年末には藤とともに小石川区に転居します。富岡は釋迢空という筆名は藤が付けたものと推測します。また、初期の短歌に暗示されている年上の恋人も彼ではないかと。
藤静夫は折口より9歳上で、1894年に吹田市佐井寺の西宝寺で得度し無染となりました。1904年に上京、1906年に帰阪、妻帯して1909年に亡くなりました。
釋迢空著『死者の書』は1943年に出版されました。折口の死の10年前です。折口は「山越しの阿弥陀像の画因」に『死者の書』を書くきっかけとなった自身の見た夢を記してから、このように書いています。
「さうする事が亦、何とも知れぬかの昔の人の夢を私に見せた古い故人の為の罪障消滅の営みにもあたり、供養にもなるといふ様な気がしてゐたのである。」
「かの昔の人」は折口が中学生時代に憧れていた友人、辰馬圭二で、その辰馬が夢にあらわれ、折口に対する恋を打ち明けたと、折口は教え子の加藤守雄に語っています。辰馬は1929年に死去し、折口は翌年、辰馬の菩提寺でお経をあげてもらいました。その夢を見せた「古い故人」については言及されずにきましたが、富岡は藤無染であろうと述べています。『釋迢空ノート』は藤無染に始まり、藤無染で終わっているのです。(その後に、それまでとは趣の違う「ノート10 短歌の宿命」が置かれています。)
読後、近藤ようこの『死者の書』(KADOKAWA/2015-16年)を手にしました。近藤はこれは「鑑賞の手引き」のようなものと書いていますが、原作に添い、かつ独自の解釈を交えた優れた作品です。