旭亭だより

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「北朝鮮へのエクソダス」

「北朝鮮へのエクソダス」

3日前に前振りを書いたのですが、このような本について語ろうとすると、柄に合わないせいか肩に力が入ってしまい、なかなか書き出すことができません。
取りあえず、この本を読むまでは<帰国事業>というものを私がどう捉えていたかを述べることにします。


1960年ころから数年間、日本と北朝鮮赤十字による<帰国運動>(当時はこの言い方が一般的でした)というものがあり、日本の敗戦時に帰国できなかった北朝鮮出身の人たちが数万人、故国に帰ることができた。
それは両国の赤十字によって行われた、政治を越えた人道的な運動であった。


そのように私は信じてきました。
きちんと考えれば、何の資料がなくても、なぜそれが北への<帰国運動>しかなかったのか、韓国出身の人たちはどうしていたのか、と疑いが湧くのでしょうが、私がそのように考えることはありませんでした。


実際には北に帰った人たちのほとんどは、かっては南に住んでいた人たちでした。日本に住んでいた(連れてこられた)朝鮮半島の人たちに、38度線以北に住んでいた人たちはあまりいなかったようです。
そうなると<帰国運動>が人道的事業であることも疑わしくなります。この本はそれに答えてくれるものです。


今ではとても考えられないことですが、当時の韓国の経済状況は北朝鮮よりも遙かに劣るもので、日本に住む同胞の帰国を受け入れらことができなかったのです。また、李承晩という韓国の初代大統領による独裁政権を恐れ、韓国に帰国することを望む人も少なかったようです。
当時の日本人の多くは、社会主義国家に将来の夢を托していました。旧社会党共産党はもちろん北朝鮮を支持していました。そういった力も<帰国運動>を後押ししました。
そして日本政府も、国内にいる「きわめて粗暴な性質」の在日朝鮮人に帰国してもらいたかったのです。*1


このように、本来は利害が対立するはずの勢力の思惑が一致したときに、<帰国事業>が動き始めたのです。赤十字による<帰国事業>は1967年11月で終了しましたが、非公式な小規模な帰国は1984年まで続きました。
脱北者には日本からの帰国者が多いということです。

*1:外務省「わが外交の近況」第4号(1960年6月)