旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

森鷗外『壽阿彌の手紙』

森鷗外の『壽阿彌の手紙』を読みました。
『澁江抽齋』の追記として読み始めました。歴史書には出てこない多くの人名と印刻されていないであろう文書の、それも漢文を含む、引用に辟易し、どうせ追記だからと読み飛ばすつもりでしたが、だんだんと惹かれていき、同じ文を何度もたどりながらの読書となりました。
伊澤蘭軒の嗣子、榛軒(しんけん)の娘、曾能子(そのこ)が現存し、壽阿彌と会ったことを聞くあたりからこの史伝はぐっと面白さを増してきます。文献の中にだけあった壽阿彌の姿が立ち現れてくるのです。
その後、鷗外は小石川の昌林院に壽阿彌の墓を訪ねます。墓は傳通院に移り、公開もされていませんでしたが、壽阿彌の命日に詣でる老女のいることを知ります。なんとその媼、石(いし)は壽阿彌の姪であったのです。
このような本は、以前の私なら読み通すことができなかったでしょう。完読できていない中村真一郎の『木村蒹葭堂(けんかどう)のサロン』(2000年、新潮社)も読めそうな気がしてきました。

ビートルズとモンゴルへ

ビートルズのインド行きを下敷きにした、彼らとモンゴルへ行く夢を見ました。
なぜか出発地は日本でした。取り巻きの多い大旅行団です。マッカートニーとほかのメンバーはもう不仲になっていて、モンゴルに着いてからは別行動になります。日本人の参加者はほとんどマッカートニーのグループでしたので、私は三人の方を選びました。
着いた日から騒動続きでした。宿泊施設の食事がまずい、設備がひどい等々。欧米人なんだなぁ。そして二日で帰ることになりました。
三人がモンゴルに来た理由はわかりませんでしたが、マッカートニーにはありました。キノコの採取です。ジョン・ケージの影響でもあったのでしょうか。それとも幻覚作用を求めたのかな。
マッカートニーのグループも二日で帰ることになったようで、空港でバッティングしてしまいました。羽田への便は少なく、一度に旅行団全員を乗せることもできません。雰囲気はどんどん悪くなっていきます。飛行機が日本の航空会社のものだったので、私が世話役となり、まずレノンたちのグループを乗せました。
ほっとしたのもつかの間、また問題が生じました。残った人たちがもめているのです。金銭トラブルのようで、私が間に入るのはとても無理です。そこに次の便が大幅に遅れるとのアナウンスがありました。もう大騒ぎです。このままじゃ暴動となっちゃう、と心配していたら目が覚めました。
ビートルズの四人は誰も夢には出てきませんでした。上首尾です。

Jeff Beck "performing this week..."

ジェフ・ベックがスタジオで録音したアルバムはすべて持っています。ライヴは2008年の"performing this week..."のみです。ロンドンの古いジャズクラブ、ロニー・スコッツでの演奏を収録したものです。最近のライヴアルバムはDVDとセットになっているものが多いのですが、これはそうではありません。私は音が聞ければいいと思っていますので、DVDを別に求めることはしません。
ところがこれだけはブルーレイディスクも買ってしまいました。CDではゲストの部分がカットされ、そのゲストの一人が大好きなジョス・ストーンだったからです。私はストーンの歌う姿を見たことがありません。(他のゲストはイモージェン・ハープとエリック・クラプトンです。)
バンドの全員がとても楽しそうに演奏しています。ベックは若いベース奏者、タル・ウィルケンフェルドにもソロの機会を与え、彼女を守り立てていました。

ピーター・グリーン

エディ・ボイドとのセッションがあまりにもよかったので、ピーター・グリーンのギターがもっと聞きたくなりました。手許にあったのはブルーズ・ブレイカーズフリートウッド・マックに在籍した時のレコードだけでした。どちらもじっくりと聞いたことがありませんでしたから、十分楽しめました。でもボイドとの演奏にはかないません。
あれが録音されたのは1968年でした。ボイドが活躍したのは50年代の前半でしょう。彼はあちこちのレーベルからレコードを出していますが、最も多いのはチェスからのこの時期です。60年代になるとアメリカではブルーズは聞かれなくなりました。レコードが出なくなってもブルーズ奏者たちの力が落ちたわけではないと、ボイドが教えてくれました。
BSプレミアムレネー・ゼルウィガーが晩年のジュディ・ガーランドを演じた映画『ジュディ 虹の彼方に』を見ました。ガーランドとボイドは同じ頃に異郷のロンドンで仕事をしていたのですね。

小林信彦にはたくさんの著書があるから

NHK-Eテレの『スイッチインタビュー』で小林信彦細野晴臣の対談を見ました。
私は、初期のユーモア小説には笑えませんでしたが、小林の著作はほとんど読んでいます。はっぴいえんどYMOを熱心に聞いたことはありませんが、細野の作る音楽には関心がありました。となるとどうしても期待してしまいます。ただ、小林の年齢が気になりました。
90歳の小林の語りは不明瞭なところもあり、語りたいことも思い出せないようでした。細野は小林が思い出せないことを知っているのでしょうが、自分からそれを語ることはせず、小林のペースに合わせていました。
つらくなることもありましたので、後編は見ません。小林信彦中原弓彦)はたくさんのことを書き残してくれました。感謝です。

夕暮れ

引越し先に旭亭を選んだ理由は、陽あたりの良さと静けさでした。晴れていれば一年中ベランダから富士山が見えることは、引越してから気づきました。
夕暮れの写真は、見栄えがいいので、ベランダからのものになりがちです。でも玄関の前で見る夕景も私は好きです。