堀江敏幸の「いつか王子駅で」にこんな箇所があり、どきりとしました。
(略)みずからを浅学非才と称しうるのは名実ともに優れた人格者でなくてはならないのである。かって一国の首相にまでなりあがった著名な政治家が、ある場所でおのれを浅学非才の身だと笑顔で言い切った場面をテレビで目撃したことがあったが、そのときに感じた違和感はおそらくこの誤用によるものだったのだろう。
まったく同感です。というより、そうだったのかと納得しました。
が、ここでむずかしいのは、人格者ということばが、浅学非才の反対語ではないことです。それを覆っているかというと、そうでもなさそうです。知識がなくとも、人格者である人はいるはずだからです。
私は、この便りにみずからの知識のなさを何度も書いてきましたが、それは事実で、決して謙譲しているのではありません。しかし、知識のなさを何度も表明することは、傲慢と紙一重であることを、この文章を読んで気づかされました。
間違いを正すことは必要です。しかしおのれの無知を嘆くことは、人前ですべきことではないのかもしれません。
- 作者: 堀江敏幸
- 出版社/メーカー: 新潮社
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