旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

祖父のことなど

旧墓石

上高田の寺町について何回か書いてきましたが、台東区の今戸から私の育った橋場にかけても寺町と呼べるところです。わが家の墓もその中の永伝寺にあります。
江戸時代後期の切絵図を見ますと、永伝寺は現在と同じ場所にありますので古い寺なのでしょうが、このあたり一帯は戦災で焼けていますので、昔の建物は残っていません。


私の祖父は埼玉県川島村(現川島町)に生まれましたが、二男でしたので分家し、東京に住むようになりました。当初は石浜町で油屋を営んでいたそうです。
祖父は二度結婚しましたが、ともに連れ合いを早く亡くし、私の伯父と伯母にあたる子供二人とも逆縁となりました。家族運の悪い人です。
永伝寺にあるお墓は、たぶん最初の妻を亡くしたときに急遽求めたようで、小さなものでした。でも、私は素朴なその墓が結構気に入っていました。
写真がそれです。二年前に永伝寺の募域が拡張され、そちらの方にお墓を移し墓石も新しくしましたので、この墓はもうありません。


今年の年始の挨拶で実家を訪ねたときに、弟から祖父とその家のことを聞きました。弟は長い間付き合いが絶えていた従姉から聞いたそうです。
祖父の家は祖父の兄が夫婦養子を迎え、私たちとは血の繋がりがない人が継いでいるのは知っていました。大伯父夫婦には子がなかったのだろうと考えていたのですが、大伯父は病弱で結婚をしなかったそうです。そのため、祖父に家を継ぐことを求めたのですが、祖父は「二男である自分が家を継ぐことはできない」と固辞したとのことです。いかにもあの祖父ならありそうなことです。


祖父が私に木刀を作ってくれたことがありました。私は大のチャンバラ好きだったのです。
からして檜だったのでしょう。祖父は太い木の棒に鉋をかけていました。私はそれを、私が握りやすい細さまで削ってくれるものと思っていたのですが、そうではありませんでした。確かに面取りはしてありましたが太いままなのです。祖父は出来が気に入ったと見え、笑いながら「名前を入れよう」と言い、握る部分に小刀で姓を彫りつけ、墨を入れました。
その木刀がチャンバラごっこに使われることはありませんでしたが、長い間わが家の隅に転がっていました。
「じいちゃん、あの木刀は太すぎて握れなかったよ。」


祖父の名前は小兵衛でした。小柄だった祖父に似合っています。もしも私が隠居したときには、その名前をもらうつもりです。