旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

クイズの王様の北一輝

「北一輝」

昨日の便りに記した<クイズの王様>のコントですが、テレビで見たものであることを思い出しました。
それと、少し言葉が足りなかったようですの、補足することにいたします。


<クイズの王様>は答えを「知っている」と言うだけで、実際にはそんなことはありえないのですが、出題者は正答としてしまうのです。ですから王様は無敵なのです。


昨日は、これを自戒としたいと書きましたが、実は思い当たることがあったのです。
ちくま学芸文庫で2月に出た渡辺京二の「北一輝」を読んでいるところなのですが、この本は私に、私が北の思想をまったく誤解していたことを気づかせてくれました。


十代の終わりころに、私は、当時みすず書房から出版されたばかりの「北一輝著作集」を求めました。購読していた吉本隆明の個人誌「試行」に連載されていた滝村隆一の北一輝論に触発されたからです。
しかし、まったくと言っていいほど理解できず、もちろん完読も適わず、ときおり読みやすい部分だけに目を通すだけになり、3冊の著作集はしばらくして手放してしまいました。
滝村の北一輝論も難解でしたが、なんとか読むだけは読み、単行本も購入し、こちらは現在も手元にあります。しょっちゅう本を売り飛ばしてしまう私ですが、幸いなことに滝村の著作だけは現在もすべて持っています。


その後、三島由紀夫が絶賛したという村上一郎北一輝論や、著者名は忘れてしまいましたが、北に関するいくつかの雑誌掲載論文を読むことがありました。
そのうちに私の中には北一輝像が形作られてきました。それは国家社会主義者というステレオタイプのものでしたが、それで十分であるとずっと考えてきました。
それが誤ったものであることを、渡辺の「北一輝」は教えてくれました。渡辺の評価する滝村隆一の「北一輝」だけでもきちんと読んでいたら、こんなことにはならなかったはずです。


北一輝について、知人と話すことはなかったと思いますが、もしあったとしたら、私は<クイズの王様>として振舞っていたはずなのです。