旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

富士松鶴尾太夫(上)

はじめにお断りしておきますが、名人の話ではございません。
今から四半世紀ほど前、私が都内で会社勤めをしていたころに出会った、老藝人の思い出をこれから語ることにいたします。


仕事を終えた私は、銀座一丁目にあるなじみの居酒屋で一杯やろうと、その店が二階に入っている雑居ビルの前まで来ました。
敗戦後、有楽町駅の周辺に跋扈していた屋台の飲み屋の立ち退き先として建てられたと噂されるそのビルには、噂にたがわず、その時代の雰囲気が色濃く張り付いていたものでした。
そんなビルのすりへった階段を上っていきますと、なんと三味線の音(ね)が聞こえてきたではありませんか。


私は仕事柄、邦楽には日常的に接していました。長唄常磐津、清元なら有名曲はほとんど諳(そら)んじています。しかし今聞こえているのは、それらのように木挽町の舞台で聞かれる曲ではありません。
それが新内であることは、実は聞いた瞬間にわかりました。新派の芝居ではよく使われていたからです。


二階の手前はなぜか八百屋です。その先の通路の両側に小さな居酒屋とバーが十数軒あり、一番奥は共同トイレになっていて、そちらにも階段があります。
バブルの最盛期のころの話です。古びたビルとはいえ地べたは銀座ですから、当然ながら地上げ屋が出入りし、すでに何軒かの店の入口には閉店を告げる紙が貼られていました。
それでなくても時代に取り残されたビルの中の小路は、灯りの消えた店によって、より寒々としたものに感じられました。