旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

富士松鶴尾太夫(中)

通路の中ほどに、羽織袴姿の小柄な老人が立っていました。正装ですがその着物は、羊羹色とまでは言えませんが、相当にくたびれていました。
たぶんこの人は新内流しなのでしょう。でも、話には聞いたことがありますが、そんな職業がまだ残っているのでしょうか。
それにちっとも粋ではありません。着流しではないし、歳はとっているし、おまけに立ち止まっています。
あたりには誰もいません。思いきって声をかけることにしました。


「新内ですよね。」
老人と目があいました。70歳は越えているようです。
「お若いのに、よくわかりましたね。」
私は演奏してもらえるのか、問いました。
「そりゃー、もちろんです。そのために流しているのですから‥‥。」
嗄れた、老人特有の声でした。はたして唄えるのでしょうか。
「ちょっと待っててください。お店にことわってきます。」


私は行きつけの居酒屋の暖簾をくぐりました。先客が数人いました。
「新内流し、呼んでもいいですか。」
主人(あるじ)に訊ねました。
「ああ、三味線の音が聞こえていましたね。私も聞いてみたいし、いいですよ。」
客たちも了解してくれました。
「よく来るのですか?」
「一、二度見かけたことは、ありますがね。ここも店が少なくなってしまったし、呼ぶ人はいないみたいでしたよ。」


私は老藝人のところに戻りました。