まずは喉を潤してもらおうとビールをすすめました。「悪いね」と老藝人は軽くお辞儀をしてグラスを乾すと、調子を合わせ、咳払いをしてから三味線を弾き始めました。
前弾きで「蘭蝶」であることがわかりました。といっても私が知っている新内は、この曲と「明烏」しかありません。
「今宵言ふも古けれど、四谷で初めて逢うたとき‥‥。」
有名な四谷のクドキです。新内流しの聞かせどころなのですが、三味線の音にも声にも艶がありません。
十分ほどで演奏は終わりました。みな拍手はしましたが、何が唄われたのかわからないようで、きょとんとした顔をしています。
おせっかいとは思いましたが、曲の名前とその粗筋、そして今唄った部分がどこにあたるのかを簡単に説明しました。
老藝人は口を挟まず、拙い解説を黙って聞いていました。
「いくらお払いしたらいいのでしょうか。」
相場がわかりませんので、失礼をも顧みずに訊ねました。
「歳のせいで、お聞きのように満足な藝はもうできません。千円も頂けたら十分です。」
私は言われたとおりに千円を支払い、よろしければ少し飲んでいきませんかと誘いました。
彼はにっこりと微笑んで承諾してくれましたので、私たちは酒を酌み交わしながらそれから小一時間ほど話をしました。
「ずっと新内を教えていたのですが、今はもう習いに来る人はいません。老妻とふたりで暮らしていますが、私には趣味もなく、できることといったら新内しかありません。一日中家にいるのもなんだから、昔取った杵柄とやらでふと新内流しでもやってみようと思ったのです。でも、誰も聞いてはくれませんし、物乞いのように扱われることもあるので、もうやめるつもりです。」
老藝人は新内流しをしていた若き日のことも語ってくれたのですが、残念なことに私の記憶が薄れてしまいました。
最後に彼は、古びた名刺を差し出しました。
「近所に来たら寄ってください。」
名刺には品川区内の住所と、富士松鶴尾太夫という名前が記されていました。