旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

「明烏」と「船徳」

黒門町(先代桂文楽)のおはこに「明烏」と「船徳」がありますが、このふたつの演目には共通するところがあります。
人情噺の冒頭を独立させ、滑稽噺に変えたところです。


大店の若旦那、時次郎の筆おろしをめぐる噺が落語「明烏」ですが、これを聞いただけではなぜ「明烏」なのかはわかりません。むしろ「三千世界の烏を殺し」をサゲにした「三枚起請」の方がこの演目にはふさわしいような‥‥。
明烏」は新内「明烏夢淡雪」をもとにした人情噺「明烏後正夢」の一部なのです。


というのが、どの落語解説本にも書いてあること。それに異を唱えたのが平岡正明アニさんであります(「大落語」上巻)。
新内「明烏夢淡雪」には時次郎と花魁、浦里の出会いの場がありません。また人情噺「明烏後正夢」は残っていないのですが、後日談になるのですから、ふたりのなれそめが語られていることはないはずです。


アニさんの説はまったくもってごもっともなのですが、先行作品があったということだけは認めてもらいやしょう。そうしないと話が続きませんや。


算盤をはじくことが大嫌いで、鯔背な船頭になることを夢見てる商家の若旦那を描いたのが落語「船徳」です。こちらは船宿に居候する徳三郎で「船徳」、わかりやすい演目です。


明烏」は新内を知っていましたので、それとの関連が想像できましたが、「船徳」は独立した落語だと私はずっと思ってきました。
だって、「明烏」の時次郎にはかわいらしいところがありますが、徳三郎ときたら、まったくもって落語世界の住人ではありませんか。
が、さにあらず。これは人情噺「お初徳兵衛浮名桟橋」の発端部分を、ステテコ踊りで人気者になった三遊亭円遊が改作したものなんだそうです。


名前からして変えちゃっています。徳兵衛ではなく徳三郎。
お初徳兵衛といえば「曾根崎心中」ですが、人情噺「お初徳兵衛浮名桟橋」はふたりの名前を借りただけで、それをもとにしたものではありません。「曾根崎心中」の徳兵衛は船頭じゃありませんものね。


初代古今亭志ん生作といわれる「お初徳兵衛」には明治時代の速記本があります(ただし円喬による)。また五代目志ん生の音源もあるようです。
矢野誠一は先代馬生の「お初徳兵衛」を聞いたことがあるそうですが、それほどおもしろいものではなかったそうです(「落語讀本」)。
それで残ったのが「船徳」なんですね。


船徳」を作った鼻の円遊がただの珍藝藝人ではなかったというお話は、明日にでもいたしましょうか。