旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

三代目円遊

夏目漱石が落語好きであったことにふれた文章には、必ずといっていいくらい「三四郎」の次の部分が引用されます。

小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものぢゃない。何時でも聞けると思ふから安っぽい感じがして、甚だ気の毒だ。実は彼と時を同じうして生きてゐる我々は大変な仕合せである。今から少し前に生まれても小さんは聞けない。少し後れても同様だ。

これは地の文ではなく、三四郎の友人である与次郎が彼を日本橋にある木原亭(「三四郎」では木原店)に連れていくときに語ったことです。
「時を同じうして生き」る「仕合せ」という表現は今でも盛んに使われていますが、初出は「三四郎」です。


話は外れますが、「弥次郎」という落語があります。円生が得意にしていましたが、大法螺吹きの男の噺です。与次郎と名前が似ているもんで、今ふと思い浮かびました。


では、初代小三治であった三代目小さんはどんな落語家だったのでしょうか。
森田草平の「続夏目漱石」に漱石が語った小さんの魅力が書かれています。

小さんの好い所は客と一緒になって笑はないで、自分一人は糞面白くもないといふような、始終苦虫でも噛んだやうな面をして、小言でも云ふように、ぶつくさ口の中で云ってゐる。それでゐて落語の中の人物は綺麗に話し分けて、持って行くべき所へは、ちゃんと手際よく持って行く。あれこそ真の芸術家だ。

あれっ、誰かに似ていませんか。先代の可楽です。小宮豊隆漱石とともに牛込亭で小さんの「うどんや」を聞いたそうです。「うどんや」は可楽もよく演っていました。
落語からの影響が濃厚な「猫」ですが、冗舌な語り口で、どうやら天才小さんのぶつくさを取り入れてはいないようです。
では、というところで、話が長くなってしまいましたので明日に続きます。


ステテコの円遊はあまりの人気者になってしまい、初代といわれることが多いのですが、お題の通りです。


今日の分、水川隆夫の「増補 漱石と落語」のお世話になっています。この本のカバー絵は林家たい平が描いていますが、気に入っています。


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