旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

植木さんはあのモカンボセッションの場にいたんだ。

モカンボセッション

植木等伝『わかっちゃいるけど、やめられない!』」で、日本のジャズロックの草分けである稲垣次郎さんが、ほかの人とは違う植木等像を語っています。

結構、調子よかったよ。だから、僕は一貫して、植木さんは元々三の線だと言ってるの。本人は二の線で行きたいと思っていた。「モカンボ」の時の格好良さが忘れられないみたいだね。

私は植木さんがどうのようにジャズを学んだか、自分が楽器を演奏するせいか、前々から気になっていました。戸井氏のインタビューに、植木さんはギターを始めたきっかけをこのように語っています。

歌手、植木等なんていったって、ちゃんと音楽を勉強したわけじゃないし、なんでもいいから楽器やれた方が仕事もあるだろうって、そんな軽い気持ちで始めたの。

当時植木さんはテイチクレコードの新人歌手コンテストに合格しプロの世界に入ったのですが、それでは生活ができなくてボーヤ(バンドボーイ)の仕事もしていたそうです。ボーヤ仲間には後にハナ肇と名のる野々山定夫さんもいました。
子供が生まれ、なんとか生活を変えようと、ギターを手に入れ教則本を買い、植木さんは自己流で練習を始めました。その後、芸大出身の女性歌手に発声と譜面の読み方を習いました。ギタリスト植木等の誕生です。
(バンド歴を書くと長くなりますので、ちょっとはしょります。)
植木さんはギター、ピアノ、ベースというトリオで横浜の「モカンボ」に出演するようになりました。髪はリーゼント、スーツをぴたっと決め、稲垣さんが言うとおり格好よかったそうです。ここでは、兵士として日本に来ていたハンプトン・ホースともセッションをしています。


モカンボ」といえば、あの伝説のモカンボセッションです。1954年7月27日、錚々たる顔ぶれを集めたジャムセッションですが、夭折したピアニスト守安祥太郎の凄絶な演奏で歴史に残るものとなりました。
このセッションは個人の手で録音され、70年代にレコードになりました。私も持っていたのですが、残念なことに今は手元にありません。一度だけ未発表分も加えてCDが出たそうですが、現在は廃盤になっています。天才と言われた守安の演奏はこの録音に残されているのみです。
これはほかの本で知ったのですが、植木さんとハナさんはモカンボセッションの場にいたそうです。ハナさんは当夜の世話人でもあり、ドラムも叩いたとのことです。
なんと穐好敏子さんがベースを弾いている曲もあります。