旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

プログラムを学んだころ

私がパソコンにはじめて触れたのは36歳のときでした。転職した会社で会計処理にパソコンが使われていたからです。四半世紀前のことですから、機種はNECのPC98でした。
その後ワープロ表計算ソフトも使えるようになりましたが、それだけでは満足できなくなりました。LANシステムの構築も業務としていた会社ですので、プログラマーは何人もいました。その職種に憧れたわけではないのですが、自分でもやってみたくなったのです。
プログラマーのひとりで、私のパソコンの師匠でもあるS君に学習法を訊ねました。彼は即座にアセンブラを学ぶことを勧めてくれました。意外でした。門外漢の私でも BASIC が初心者用のプログラム言語であることは知っていたからです。私の顔色を見てか、彼はこう付け加えました。
アセンブラはプログラム言語の基本です。それを学んでから、自分に向いている高級言語をさがせばいいのです。」
アセンブラを十分にマスターできたのではないのですが、私が選んだ次の言語は Pascal でした。
穐好敏子さんはマンデイ満ちるさんを出産したころ、ピアニストとして生活ができないので、プログラマーになろうとしたと自伝に書いていました。
気分転換のためにまたプログラミングをやってみようかと、起き掛けにふと考えました。S君との付きあいはなくなってしまいましたが、彼はプログラムやデータベースなどに関する著作や翻訳書を出し続けています。