旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

『大西巨人文選』

大西巨人文選』全四巻(みすず書房)はよく摘まみ読みする本です。それを最初から読み直しています。
「知識人の責務の今日におけるほど重大なるはない。しかも彼らの様子の昨今の軽佻さは、いったい何事であるか。」(第一巻6頁)と大西は1946年の時点で書いています。敗戦と真剣に向かい合った小説や評論ではなく、自らの戦中の営為を糊塗するためだけの文章が溢れていたからかもしれませんが、彼は日本の民主主義がすぐにも骨抜きになることを見抜き、危惧していました。
『思潮』という雑誌の1947年12月に発表した『新しい文学的人間像』は、大西が初めて原稿料をもらった文章だそうですが、そのせいなのか、うまく書けないことを冒頭で詳述しています。
何が主題なのか、なかなかわかりにくいのですが、オスカー・ワイルドの『秘密を持たぬスフィンクス』を取り上げ、登場人物の謎の女性は「神秘(ミステリー)への執着(マニア)を持った婦人にすぎない」けれど、現代に生きる我我も「神秘への執着」から自由ではなく、「神秘への執着」という人間性の深淵をえぐらなければならない論じるところからそれが見えてきます。
そのうえで、人は「物質であると同時に物質ではない(肉体と精神とである)」ので「僕たちの世界とは生者たる僕たちにとって、まさしく虚無であるとともに充実すべき物であり」、「神秘への執着」も自己欺瞞も必要なく、「ただ勇気、虚無に入る時刻までそれを充たすという勇気が求められよう。」と大西は述べます。「虚無に入る時刻」とは死のことです。
このような「勇気」もあるのか、あるいはそれこそ「勇気」なのか、死についてとともに、私は考えなければなりません。