旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

モーツァルトが聞けるときは

谷川俊太郎の「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」は私の大好きな詩集なのですが、「飯島耕一に」という献詞のついた「8」は特に強く印象に残っています。

きみはウツ病で寝てるっていうけど
ぼくはウツ病でまだ起きている
何をしていいか分からないから起きて書いている
書いているのだからウツ病じゃないのかな
でも何もかもつまらないよ
モーツァルトまできらいになるんだ

飯島耕一の「ウツ病」は後に「ゴヤファーストネームは」というすばらしい詩集を生み出すもととなるのですが、それはまた別の話で、ここでは「モーツァルトまできらいになるんだ」の一行が胸に突き刺さってきます。
谷川はモーツァルトまで嫌いになりそうな憂鬱を詩にしました。それは彼の深い憂鬱をあらわす美しい比喩です。その深さはモーツァルトの音楽と等価なほどなのです。でも絶望に至るまでではありません。彼は起きて書いているのですから。


昨今はモーツァルトブームとかで、癒しの音楽の代表とされているアマデウスですが、私にはどうもそのようには聞けません。私にとってモーツァルトの音楽は、小さな幸せをかみしめながらそっと聞くときに、その魅力を最大限に発揮してくれるものなのです。


沈んだ状態が続いていた私ですが、昨夜は久しぶりにモーツァルトの音楽を聞きました。K.364の「協奏交響曲」です。
私の好きなこの曲の演奏はアイオナ・ブラウンの指揮とヴァイオリンによるアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズのもので、ヴィオラ今井信子です。
名盤案内に載ることのないCDですが私にはこれがベストです。