旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

筒井筒

私の子供時代、男の子たちは外で暗くなるまで遊ぶだけで、習い事をする子はほとんどいませんでした。女の子はそうではありません。
面白いのは、親の仕事で習うものがはっきりと別れていたことです。ピアノ、バレーや書道を習うのは、下町では少数派であった勤め人の家庭の子たちです。店屋の子たちは、日本舞踊や算盤を習っていました。
幼なじみのハコちゃんの家はお菓子屋ですから、もちろん舞踊と算盤です。ハコちゃんはお母さんが板東流のお師匠さんでしたから、舞踊は母親から習っていました。
下町には板東流の稽古場が多く、そこでは舞踊以外に清元や常磐津も教えていました。
もっと前には、五目のお師匠さんといって、藝事だけでなく裁縫や読み書き算盤までを教える人がいたそうですから、その流れを汲んでいるのでしょう。
ハコちゃんから浴衣温習いの招待状をもらったことがありました。なんだか照れくさく、結局は行きませんでした。小学生のころの話です。


後日談があります。会社勤めをするようになってからのことです。
銀行の窓口の女性に声をかけられました。窓口に行くと、なんと彼女の後の席にハコちゃんがいるではありませんか。中学校を卒業してから会ったことがありませんでしたから、およそ十年ぶりの再会です。
口座を作っていた銀行でしたので、それからも何度かハコちゃんの顔を見ることがありましたが、彼女は仕事中ですから、声はかけませんでした。*1
数ヶ月後、彼女から封筒を渡されました。受け取った瞬間、何が入っているのかがわかりました。
職場に帰り開けてみると、案の定、舞踊会の招待状が入っていました。ただ、今度は浴衣温習いではありません。
ハコちゃんが何を踊るのか、プログラムは板東流の名前で書かれていましたので、すぐにはわかりませんでした。あっ、これだな。ハコちゃんの名前が一字ある藝名がありました。トリで「鷺娘」を踊るんだ。
私はこの会にも行きませんでした。半年後、ハコちゃんは結婚のためにその銀行を退職しました。

*1:ATMのないころの話です。