旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

談志の「芝浜」に泣いてしまいました。

昨年、natunohi69 さんが紹介してくれたNHKハイビジョンの立川談志の番組を、約半分に編集した短縮版ですがデジタル放送で見ることができました。
「やかん」「へっつい幽霊」など、どれも面白かったのですが、「芝浜」には泣いてしまいました。
「芝浜」を演る落語家は増えていますが、はっきり言って三木助劣化コピーで終わっている人がほとんどです。どれも歳末風景に平板な夫婦愛をまぶした、底の浅いものになってしまうのです。


談志は、おかみさんの描き方と、大家の役割の大きさの指摘が、ほかの落語家とまったく違っていました。これによってこの噺が、骨格が太く、陰影のあるものになったのです。
とりわけ、長屋の連中とどんちゃん騒ぎをした翌日の、亭主を起こす前のおかみさんの表情と動きに、あからさまな嘘をつかなければならない戸惑いがみごとにあらわされていました。後述するように、ここにはもうひとつの意味も加わっています。


おかみさん自身が、あの拾ったお金を使い尽くしてしまうつもりだったという解釈に、「落語とは業の肯定である」という談志の落語観と、人間観察の鋭さを見ることができます。
そこに大家登場です。
おかみさんの常にない様子に、大家は不審なものを感じ、厳しく問い詰めるのです。通常は賢夫人であるおかみさんが、大家に相談に行くということになっています。
怠け者の亭主に苦しんできた裏長屋のおかみさんが、突然大金を手にして何を考えるか、答えを自ずと明らかです。
自分も亭主に荷担しようとしていたおかみさんだから、翌朝、亭主を起こそうとするときに逡巡するのです。


実は、亭主が一度寝込んでから、どんちゃん騒ぎなしで起こす場面になりましたので、騒ぎはなかったものとして噺が進んでいくものと思っていました。でも、それでは亭主が心を入れ替えて、仕事に精を出すという展開は無理になります。やはり大盤振舞は必要なのですね。