旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

プラム麻里子

専業主婦探偵〜私はシャドウ」の後は、前回ヨシヒコ(どじょうではありません)という怪作を放ったテレビ東京ドラマ24ここが噂のエル・パラシオ」です。ヨシヒコには及びませんがこれもなかなかの力作です。
佐藤江梨子率いる女子プロレス団体「エル・パラシオ」の所属選手はわずか4名です。そのひとり、澤山璃奈扮するバツイチレスラー棚橋真理子を見ていると、故プラム麻里子が思いだされてなりません。
棚橋選手のリングネームはマリリン・ターナー、お色気と華麗な動き売りで(澤山さんはフィギュアスケートアイスダンスをやっていました)、サンボをバックボーンとしていたプラムさんとは違うタイプのレスラーですが、顔立ちが少し似ているのです。
プラム麻里子選手が亡くなって14年が過ぎました。覚えている方も少ないかもしれません。彼女の死の直後に書いた私の文章がありますので、以下に引用いたします。


8月16日、JWPのプラム麻里子選手が試合中のアクシデントがもとで死去した。
プラム選手は怪我の多いレスラーだった。骨が弱いのだろうか、打撃系の技にいつも翻弄されていた。ここ数年は骨折で休養、復活したすぐ後に再び骨折で長期休養という状態であった。娘とJWPの興行を後楽園ホールに見に行くたびに、売店で俯いているプラム選手の姿があった。
流行の跳び技は下手であったが、サンボから取り入れたサブミッションが得意だった。いつも白の地に鮮やかな花を描いた明るいリングコスチュームを身につけていたが、試合内容はプロレス好きをうならせるものであった。
復帰したときの身体を見て、これは引退が近いと感じた。筋肉が落ち、贅肉がだいぶついていた。でも、面倒見がよさそうだし、技はうまいから、いいコーチになるだろうと思っていた。
復帰後のプラム選手は、実力的にはかって彼女がその技を教えた若手選手と同じレベルにまで落ちていた。実際、彼女が得意としたサブミッションで、若手選手から逆にギブアップを奪われることもあった。
そのころ、JWPは人気の出始めた若手レスラーの退団が続いており、さらには中堅の矢樹広弓選手の結婚引退が決まっていた。
ヒールの尾崎魔弓選手との仕組まれた抗争も、たぶん最後のレスラー生命をかけたプラム選手の望んだものであろう。
ふたりは下積み時代から仲がよかったと聞く。それだから安心して危険な試合もできたのだろう。
尾崎選手のライガーボムがプラム選手の死因になろうとは…。
梅田麻里子、急性脳腫脹のため1997年8月16日死去。
享年29歳。
合掌