旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

半世紀前のお話

昨日、「毎日のように通った下町の駄菓子屋」と書きましたが、それについての思い出を記します。正確には半世紀以上前のお話になります。


そのころの東京の下町には、町内(町名や丁目ではなく番地単位です)に一軒くらいの割合で駄菓子屋がありました。店舗と呼べるようなものではありません。路地にある民家の玄関先を利用した小商いです。屋号もなく、その家の姓がその代わりでした。私の町内の駄菓子屋は「富山さん」。子供たちは、他の町内の駄菓子屋にはまず行かなかったものです。
裸電球ひとつを灯しただけの薄暗い店もありましたが、「富山さん」は小ぎれいでした。大手メーカーの菓子は置いていません。そういったものはパン屋で売られていました。
一個数円の菓子をケースから取り出しお金を払います。そしてそのまま口の中に、です。塩せんべいなどは大人も買いに来ましたので、新聞紙の袋に入れてくれました。
駄菓子以外にメンコやブロマイド、銀玉鉄砲などのおもちゃも売っていました。お正月が近くなると、独楽や羽子板、お年玉を当てこんだ値の張る玩具も並びます。私が夢中になったのは雑誌の組み立て付録でした。新聞紙の袋に入っていて中身は見えませんから、籤のようなものです。
駄菓子屋とくればもんじゃ焼きです。もちろん「富山さん」でもやっていました。奥の畳敷きの部屋にはかなり大きな鉄板がありました。それを囲んで自分たちで焼きます。
月島もんじゃとはまったく違います。量はほんのわずかですから、土手など作る必要なありません。そのまま流しておしまいです。一番安いのはショウガ焼きで、キャベツがほんのわずかと紅ショウガが入っていました。カリカリに焼き、小さなハガシでこそげ取り、食べます。
子供だけでなく、近所のお姉さんや小母さんも来ていました。彼女たちが食べるのはお好み焼きのような、タマゴやキャベツがたっぷりと入ったもんじゃでした。数人で来て、結構きわどい話をしていたこともありましたっけ。
そうそう、心太もおいしかったなー。なんて書いているときりがないので、今日はこのへんで……。