旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

慶養寺もくつ塚

断腸亭日乗」を読んでいると、知っている場所がたくさん出てきて嬉しくなります。玉ノ井に行った帰りは白鬚橋を渡って帰るとか。白鬚橋の西岸は、私の育ったところです。
昭和12年6月18日早朝には、荷風散人は登楼していた吉原を出て今戸橋に歩を進めます。バスを待つ間、付近の慶養寺の門をくぐります。この寺はたぶん私の高校時代の同級生の家だったような。が、訪ねたことはありません。
鐘楼の下にはもくつ塚と刻した石を見つけ日乗に「遊女采女が碑なり」と記しますが、欄外に訂正文があります。「もくつ塚ハ遊女の碑に非ず男色心中右京采女二人の碑なり。」と。
采女は陰間茶屋で働いていた男性の源氏名なのでしょうか?もくつ塚、今でもあるのかな。